「けんた食堂」というYouTubeチャンネルが好きだ。
家庭料理探求家のオイさんが運営している料理系チャンネルであり、おなかが空きそうなショート動画がたくさんアップされている。
「けんた食堂」の魅力の一つは、食に対する圧倒的なこだわり。たぶん、動画で出しているのは “家庭料理” ではない。
何せ、調理器具(?)として、U字溝が登場するのだ。それも、時々。
ただ、今回話したいのは、U字溝のことではない。
「けんた食堂」チャンネルの別の魅力、それは、オイさんの淡々とした語り口調、そして美しい言葉遣いである。
この記事では、動画の中に出てきた、とある表現について取り上げる。
———–
「あの店のポークソテー」というショート動画を見ていて、次の表現が気になった。
である。
ぱっと思ったのが、普通は、
と言わないか? ということ。
そういうときは、まずググる。
「千切りにする」の方がかなり多いが、「千切りする」も使われているようだ。
違いは何か。「千切り」という語が、“名詞的” に使われているか、“動詞的” に使われているか。
【名詞的】→ キャベツを「千切り」というものにする
【動詞的】→ キャベツを「千切りする」
※「名詞 + する」形。「勉強する」「運転する」とかもそう。
そして、辞書を引く。
せん-ぎり【千切り・繊切り】
大根などを線状に細かく切ること。また、その切ったもの。
広辞苑
要するに、こういうことだ。(写真は、KAGOMEのサイトから拝借)
自分で作っておいてあれだが、この図、なんかシュールで良い。
千切り:「切ること」と「切ったもの」の両方に対して使える表現。
千切りする:「切ること」に注目している。
千切りにする:「切った後のもの」に注目している。
ここまでで、「千切りにする」と「千切りする」の両方ともが一般的に使われていること、そしてその違いを把握できた。校正者としてはここで終わってもよいのだが、せっかくだし、オイさんのことを考察してみる。
なぜ「せん切りにする」ではなく、「せん切りする」と言っているのか?
「せん切りにする」と言っている動画はあるのだろうか、もしあるならどのように使い分けているのだろうかと思い、キャベツを千切りする動画を探し回った。
結果としては、「せん切りにする」と言っている動画は見つからなかった(探し方が悪い可能性はありまくる)。そのため、比較検証ができないのだが、私なりに結論を出してみよう。
“に” が入らない「千切りする」という表現は、キャベツを切るのは調理工程の一つ、まだ調理は終わっていない、という感じがする。一方、「千切りにする」という表現からは、切って一段落、という印象を受けるし、切ったものがポツンと浮いているような気もする。
僕の実家の話をしよう。野菜を食べるために、冷蔵庫には千切りキャベツが常備されていた。何がメイン料理だとしても、千切りキャベツが添えられる。メイン料理に合うかどうかなど気にしない。千切りキャベツは野菜を食べるための手段、ただの付け合わせなのだ。ポツンと浮いている。
冒頭で述べたように、「けんた食堂」は圧倒的にこだわっている。そもそもの話、キャベツを千切りするシーンをわざわざ動画に入れているのはなぜか。それは、「この料理には千切りキャベツが合う。否、千切りキャベツも含めて一つの料理なのだ」と伝えたいからなのではないか。
我が家
キャベツを千切りにする→ 千切りキャベツ。ポツン。
肉を焼く→ ポークソテー。ポツン。
けんた食堂
キャベツを千切りし、肉を焼く→ 「ポークソテー&千切りキャベツ」という最強コンビ爆誕。
的な。
さて、ここまで書いておいてあれだが、たぶん違う気がする。
全部、僕の妄想だ。
– 終わり –
コメント